大阪高等裁判所 昭和48年(行コ)41号 判決 1975年2月27日
大阪市南区高津七番丁三五番地
控訴人
南税務署長
北中善雄
右指定代理人
井上郁夫
秋本請
瀬戸章平
仲村清一
住永満
大阪市浪速区元町四丁目三五六番地
被控訴人
利源企業株式会社
右代表者代表取締役
劉道明
右訴訟代理人弁護士
大槻龍馬
谷村和治
右当事者間の更正処分取消請求控訴事件につき、当裁判所は昭和四九年一二月六日終結した口頭弁論の結果に基づき、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の主張、証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示に記載と同一であるから、ここにこれを引用する。
控訴人は、「劉道明から林正之助に対する仮払金一五〇万円の支払期間は本件係争事業年度内である昭和三九年一月末頃である。この事実は、(イ)乙第四号証(劉道明に対する昭和三九年一〇月二〇日付質問てん末書)中の「昭和三九年一月末に住友銀行難波支店の私の普通預金から一二〇万~一三〇万くらい引出し、手持ち現金とあわせて支払いました。」との記載のあること、(ロ)住友銀行難波支店の劉道明の普通預金口座から昭和三九年一月二七日に一三〇万円が引出されていること(乙第一一号証)、(ハ)右の一五〇万円は林から劉に対する吉本土地建物株式会社の株式譲渡の対価関係にあり、株式譲渡が昭和三七年一〇月に一六、〇〇〇株、同三八年秋頃に二一、五〇〇株についてなされたのであるから、株式名義の変更があったのは、右二回目の譲渡後というべきであり、その後である昭和三九年一月頃に右の一五〇万円の支払いがなされたと見るのが自然である。」旨述べ、立証として乙第一一号証を提出し、甲第二四号証の一、二、同第二五号証、第二六号証の一ないし一六、第二七号証の各成立を認める、と述べた。
被控訴人は「控訴人の右主張を争う。劉道明は、林正之助から吉本土地建物株式会社の再建に協力する謝礼として昭和三七年一〇月頃右会社の株式一六、〇〇〇株の譲渡を受けたが、無償で貰うわけにはいかないとして当時における一株の価額一〇〇円位として一五〇万円を交付したものである。仮に、右一五〇万円が控訴人主張のように株式譲受の対価であるとするならば、これを仮払金と計上すること自体不合理であり、又、昭和三七年一〇月頃の一六、〇〇〇株と同三八年秋頃の二一、五〇〇株の計三七、五〇〇株の対価とすると一株当り額面以下の四〇円程度という不合理なこととなる。右会社は、劉が経営に関与するようになり商号を株式会社常磐会館と変更(昭和三七年七月七日)し、劉が譲渡を受けた株式一六、〇〇〇株については、新商号による新株券発行(同年一〇月二五日)の際に名義変更がなされている。このことは甲一一号証の劉に対する質問てん末書の記載とも合致し、結局、右一五〇万円仮払の時期は、右の昭和三七年一〇月二五日頃ということができる。又、控訴人が主張する住友銀行難波支店の劉道明の普通預金口座から引出された一三〇万円が右支払いに当てられたことを裏付けるものはなく、右金員引出の前後においても右預金口座に対しては相当多額の預入、支払が繰返されているのであり、しかも、右一三〇万円の引出の日が昭和三九年一月二七日であるというのは、控訴人が従前主張していた仮払金一五〇万円の支払時期(同年同月一〇日)とも矛盾する結果となる。」旨陳述し、立証として、甲第二四号証の一、二、第二五号証、第二六号証の一ないし一六、第二七号証を提出し、乙第一一号証の成立を認める、と述べた。
理由
一、当裁判所の認定及び判断は、次に訂正、付加するほか、原判決理由に記載と同一であるから、ここにこれを引用する。(但し、原判決九枚目表五行目の「八、三〇四、〇四七円」とあるを「八、三一四、〇四七円」と、同一〇枚目裏一行目の「第一〇号証の一ないし五」とあるを「第一〇号証の二ないし五」と各訂正し、同一〇枚目裏五行目の「証人羅隆庚」の前に「証人岡田善治の証言により成立の認められる乙第一〇号証の一」と挿入し、同一一枚目表一二行目の「亜細製薬」とあるを「亜細亜製薬」と、同一二枚目裏七行目の「手読」とあるを「手続」と、同一三枚目表八行目の「一一月九日」とあるを「一一月一九日」と、同一三枚目表一〇行目の「受付」とあるを「交付」と、同一四枚目表八行目の「しかみながら」とあるを「しかしながら」と各訂正する。)
二、原判決一五枚目表一〇行目から一七枚目表五行目の「前であるとするほかない。」までを次のとおり訂正する。
成立に争いない甲第一一号証、同第一九号証、同第二五号証、同第二六号証の一ないし一六、乙第三、第四号証、被控訴会社代表者尋問(原審)の結果(ただし、乙第三、第四号証の各供述記載中、後記認定に反する部分を除く)を総合すると、劉道明は、昭和三七年頃から、かねて懇意であった林正之助より、同人が代表取締役である吉本興業株式会社の経営する映画館の業績が下降してきたのに伴い、同映画館の賃貸人であり右会社の系列に属する吉本土地建株式会社の経営状態も悪化してきたので、右両会社の再建に協力してほしいとの依頼を受け、これに応じることとなり、吉本土地建物株式会社の旧債務約七、五〇〇万円を立替返済する条件で右映画館の賃借権と営業権を譲受け、同会社の商号も株式会社常磐会館と変更(昭和三七年七月一一日登記)したこと、昭和三七年一〇月頃、林は、劉に対して右再建協力に対する謝礼の意味を含めて吉本土地建物株式会社の株式一万六、〇〇〇株(額面五〇円)を無償で譲渡したこと、劉としては、右株式を無償で譲受けることは意に添わないとし、右株式名義書換後の同年同月下旬頃に、株式譲渡代金の内金として一五〇万円を林に支払おうとしたところ、林は、一応その受領を断ったものの、結局、預っておくとしてこれを受領したこと、その後昭和三八年秋頃にも同様株式二万一、五〇〇株が林から劉に譲渡されていること、が認められる。この認定に反する乙第三、第四号証中の各供述記載部分は、前掲証拠と対比して信用できず、乙第一一号証、その他の証拠によるも右認定を左右するに到らない。
してみると、劉道明の林正之助に対する一五〇万円の仮払いの時期は、本件事業年度より前であったというべきである。
三、よって、原判決は相当であるから、民訴法三八四条一項、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 井上三郎 判事 石井玄 判事 畑郁夫)